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【akippaの軌跡】Vol.3 大阪と東京、2拠点での創業初期の組織づくり

こんにちは、駐車場予約アプリ「akippa(あきっぱ)」広報の石川です。
この記事を開いていただきありがとうございます!

【akippaの軌跡】と題し、2009年の創業からの波乱万丈な10年間を振り返っているこの企画。何度聞いても濃厚すぎて覚えられない弊社の歴史を、入社約半年の石川が、弊社代表で創業者の金谷と取締役の松井にインタビューを行い、複数回に渡りakippaの軌跡を振り返ります。全10回完結を目指しています
Vol.3では、2011年、東京にオフィス開設した話を中心にまとめます。

過去記事はこちらから
Vol.1 サッカー漬けの毎日から商売の道へ
Vol.2 社員3名から20名へ。創業2年目で急拡大させた理由

今でも崩れない、家族のような距離感

石川

2011年4月には新卒一期生6名と、中途社員も加わり、一気に20名弱ほどの組織になっていたかと思いますが、順調に売り上げは伸びたのでしょうか?

はい、私と管理部の女性で売上の推移を見ていて、高級ホテルでの宣言以降、売上は増えたと感じ「これは東京進出すればもっと売れるのではないか」と考えました。6月頃には早速東京に視察に行って、オフィスを決めて帰って来ました。オフィスといっても一軒家で、1階をオフィスにして2階に住めば家賃もかからないので関西出身の我々でも進出できるのではないかと。立ち上げは松井しかできないと思い、松井にお願いしました。

金谷

当時の東京のオフィス”東京Labo”。完全に”家”です

石川

その場で契約。すごいスピードと行動力ですね。松井さんは東京進出の話、どこから携わっていたのですか?

全く知りませんでしたね。ある日突然、金谷から新卒1人と東京立ち上げをしてきて欲しいと言われた感じです。なんで東京進出を決めたのかも、今の話で知りました(笑)。

松井

候補だった新卒の営業と面談をして、即答してくれた佐藤と2人で行ってもらうことになりました。翌月には着任してもらっていましたね。ほぼ同時期に大阪でエンジニアも採用し、営業体制、開発体制とも徐々に変化が現れた時期でした。大阪の営業は2010年に佐川と共に中途入社した加戸(現:galaxy株式会社 代表取締役社長)に任せるようになりました。

金谷

石川

松井さんは東京拠点立ち上げる際、組織づくりで気をつけた点などはありますか?

生活面においては、佐藤と仕事も生活も一緒。ストレスに感じることもなくはなかったですが、お互いにほどよい距離感を保ちながら生活できていたと思います。
数ヶ月後にテレアポの女性2人を採用したのですが、「トヨタ式」の経営に倣って、一緒にいる時間やコミュニケーションの量を増やしました。会社というより家族のような感じでしたね。おかげで今でも、特に佐藤とは、直接話さなくてもお互いの考えていることがわかる関係性になっています。

松井

石川

東京Labo時代の話は東京でもたまに聞くことがあります。今の東京オフィスも人数がまだ少ないこともあり、家族のような雰囲気は残っていますね。とても過ごしやすいです。

ここで少し裏話。当時の様子を、松井と同居していた佐藤に聞いてみました

石川:東京行きは抵抗なかったですか?
佐藤:新卒1年目で、経営メンバーの側で働ける機会なんてそんなにないので、チャンスになると思い即答しました。実際、経営との距離が近くて、計画が変わればすぐに行動に移せたので非常に良い環境でした。元々ルームシェアしていたので、一緒に住むことについては全く抵抗ありませんでした。
石川:社内の雰囲気はどんな感じでしたか?
佐藤:会社というより家族ですね。松井は”兄貴”です。最初、鍵が一つしかなかったのですが、夕方帰宅したら松井が家の前でお弁当食べて待ってたんです。会社ではあり得ない光景ですよね(笑)
石川:まさに”家族”ですね(笑)

東京Laboの玄関前でお弁当を食べながら鍵を待つ松井。
家と間違われるため貼ったという右側の看板、
実は「BAR Galaxy」の使い回しの手作りのもの。
「インターネット広告代理店」の紙を外すと「BAR」と書かれている。

ラップバトルで醸成したgroove感

石川

この頃大阪ではまた新たな事業にチャレンジしていたとか?

はい、エンジニアを中心に、「サッカーなう」というサッカーニュースサイトを立ち上げました。売上がなかったので賛否両論あったのですが、やって良かった事業の一つでした。

金谷

石川

どういったところが良かったのでしょう?

2013年の出来事ですが、その4年前に高校サッカー選手権のロッカールームで「大迫半端ないって」を発言した方が、大学サッカーを引退するタイミングでインタビューを実施しまして、それがかなりバズりました。ヤフートピックでも引用されてました。”企画”の感覚が養われて一般消費者との距離感というものがわかりました。

金谷

売上が立たない事業ではあるので、「なぜやるのか」という点について社内では本当に賛否両論ありましたが、素直な人ばかりなので、何も言わずに皆業務に打ち込んでいました。

松井

余談ですが、今年のワールドカップでも大迫選手が活躍されて「大迫半端ないって」が流行りましたが、おかげで私個人のTwitter(※)もバズりました(笑)。

金谷

※バズった金谷のツイートがこちら

石川

組織作りで気をつけていたことはありますか?

groove感を大事にしていました。実はこの頃、朝礼でラップバトルをしていたことがありました(2012年に終了)。これがWebメディアで取り上げられて、テレビの取材が次々と依頼が来るようになりました。「サッカーなう」の立ち上げと同時期ということもあって、より一層”ヒットの法則”に興味を持ったかもしれません。ラップバトルでは、TOKYO FMで毎朝放送されていた「クロノス」という番組内で、社員とバトルしたこともあります(笑)

金谷

ありましたね。コーポレート広報の大事さに気づいたのはこのあたりですよね。

松井

そうかもしれないです。とりあえずなんでもかんでもメディアに出れば良いというわけではないと(笑)。あとは忘年会にも元サッカー選手の水沼さんを呼ぶなどgroove感は大事にしていましたね。

金谷

石川

有名な方が来てくださると、自分たちの会社ってすごいんだ!と、社内も盛り上がりますよね!また呼べるように頑張らないといけないですね!(笑)

当時無理してでも呼んだのは自分たちが「イケてない」からで、自信を持たせるためです(笑)。今は呼ばなくても大丈夫です(笑)

金谷

心残りだった東日本大震災

石川

ちなみに、2011年といえば、我々日本人には忘れられない東日本大震災がありました。今では、災害対応が早いと言われているakippaですが、当時は何かされたのですか?

いえ、当時はお金もなく、東京進出前の出来事だったので何もできませんでした。困っている人がたくさんいるのに何もできない、もどかしい気持ちだったことは忘れられません。少し売上が安定した2013年に松井と佐川と共に石巻を訪れて新サービスとのコラボレーションを立ち上げ転機になるですが、それについては後ほど話します。

金谷

石川

気になりますが後ほど伺います。

内輪ネタなのでここでは割愛しますが、実際はこの頃の話はかなり盛り上がりました。サービスも会社の規模も当時とは変わりましたが、素直な社員と、社内の空気を常に考える経営陣。そこに根付く社風は変わっていないように思いました。

つづく。

■連載記事一覧
Vol.1 サッカー漬けの毎日から商売の道へ
Vol.2 社員3名から20名へ。創業2年目で急拡大させた理由
Vol.3 大阪と東京、2拠点での創業初期の組織づくり
Vol.4 テレアポでVCから資金調達 創業4年目でたどり着いた会社経営の考え方
Vol.5 “なくてはならぬ”をつくる
Vol.6 “ITの初心者たち”が作り始めたシェアサービス
Vol.7 “IT企業”への転身
Vol.8 事業の成長、組織の拡大
Vol.9 波乱万丈からの脱却
Vol.10(最終回) akippaのいま 

金谷 元気

代表取締役社長 CEO

1984年、大阪府生まれ。高校卒業後はJリーガーをめざし関西リーグなどでプレー。引退後から2年間は上場企業で営業を経験し、2009年2月に24歳で創業。2011年、株式会社へ組織変更し代表取締役に就任。

松井 建吾

取締役 CZO

1986年生まれ。大手通信キャリアの業務委託企業にて営業を経験し、2010年4月にakippaへ入社。2012年より取締役となり、akippa事業の新規創出や、各事業チーム・HRの立ち上げを歴任。現在はChief ZeroIchi Officerとして新規事業の立ち上げを担う。 事業・チーム・支社など何でも立上げる事を行う「ゼロイチ屋」。趣味は妄想。メタの上のメタを考えて大体いつも頭がぐるぐるになっている。

石川 絢子

広報

慶應義塾大学卒業後、インターネット広告代理店、グリーを経て2018年4月にakippaへ入社。グリー時代は新規事業立ち上げや管理系業務、広報など幅広く担当したが、現在akippaでは広報マネージャーを担当。
趣味は旅行で年間3回海外に行くことを目標にしている。