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【akippaの軌跡】Vol.1 サッカー漬けの毎日から商売の道へ

こんにちは、駐車場予約アプリ「akippa(あきっぱ)」広報の石川です。
この記事を開いていただきありがとうございます!

2014年4月に駐車場予約アプリ「akippa」を始めてから約4年半、2018年11月7日、ついに累計会員数が100万人を突破いたしました!
ご支援くださる皆様のおかげです!本当にありがとうございます!!

会員数100万人突破の翌日、社員全員でお祝いをしました

喜びが止まらず、インフォグラフィックの特設ページ「データで見るakippa」も作りましたのでぜひご覧ください!!!

さて、akippaの前身であるギャラクシーエージェンシー社が誕生したのは2009年2月のこと。来年には10周年を迎えます。この10年間、akippaのサービスを始めるまでも、始めてからも、決して順風満帆ではなく、波乱万丈な歴史がありました。
何度聞いても濃厚すぎて覚えられない弊社の歴史。入社約半年の石川が、弊社代表で創業者の金谷にインタビューを行い、複数回に渡りakippaの軌跡を振り返ります。全10回完結を目指していますが、なかなか濃厚なためもっと長くなるかもしれません。何卒ご了承ください。

ちなみに、先日、かの有名雑誌『AERA』の「現代の肖像」(2018年10月15日号)にて、金谷の人となりを取り上げていただきましたので、金谷について興味を持っていただいた方はそちらもぜひお読みください。

それでは、濃厚なインタビュースタートです!

商人の町大阪で気づいた、商売の面白さ

石川

メディアのインタビューでも、起業のきっかけを聞かれることがよくあります。プロサッカー選手を目指していて、お金に困る中で商売の面白さに気づいたとのことでしたが、何かきっかけがあったのですか?

高校サッカー部のコーチ時代。前:金谷、後:松井

高校卒業後もプロサッカー選手を目指していました。大阪府の人材バンクに登録し、高校サッカー部のコーチのバイトをするなど、一日中サッカー漬けの生活を送っていました。平日はほぼ毎日、午後は高校での指導、夜は自分の所属する社会人チームの練習をしていましたし、休日は試合でした。年間12万円のバイト代はもらえたのですが、他のバイトをする時間がなかったので生活はきつくて、ある日デートの帰り道に天王寺から家に帰る2人分の電車代540円がなかったんです。当時は電子マネーもありませんから、現金が必要です。そこで、手持ちの200円で100円の傘を2本買って、雨で困っている人に300円で売りました。200円が600円になり、無事帰ることができたのですが、その時に初めて”商売”の本質を知りました。

金谷

その後、自分のペースで働ける完全歩合制の電話回線の営業の仕事を見つけて始めたのですが、初日にテレアポをして、10件電話したら5件のアポが取れ、訪問すると5件中4件は受注。これは自分に向いているのではないかと思い、さらにビジネス・商売というものに興味を持ちました。当時起業家として世間を賑わせていた元ライブドア社長の堀江さんや、サイバーエージェントの藤田さんの本を読み漁りました。2003年~2005年くらいのことですね。

金谷

石川

私も同年代ですが、当時のIT起業家の影響力はすごかったですよね。

金谷自ら制作していた、街の求人情報「アグレ」

あの方々に共通していたのは自分でサービスを立ち上げていたんですよね。そこで、生きるための生活費稼ぎが必要で、個人事業主として地元密着の求人情報チラシ「アグレ」を作りました。wordで作って、毎月印刷屋にフロッピーディスクを持っていき、印刷されたものを折り込み屋さんに持参する形で、知人から紹介してもらった飲食店などに求人広告を1枠1万円で販売していました。これが好調で、自分一人でやっていたこともあり、粗利30%くらいのビジネスを実現していました(笑)。途中からは友達にも手伝ってもらいました。

金谷

求人事業を始めるため、大阪の電気街・日本橋で3万円で購入したWindows98

その頃には恐らく、すでにサッカーよりもビジネスが面白くなってきていたのですが、自分では認めたくなくて、だからこそサッカーも頑張って、2007年には当時J2だったザスパ草津の練習生になりました。しかし、プロ契約はできず、周囲の同級生も大学を卒業して就職するタイミングだったのできっぱりと引退を決めました。そして起業の勉強を兼ねて上場企業に就職することにしました。その時にはすでに起業したいという目標があったので、経験を積みお金が溜まったら起業するつもりでいました。

金谷

資金繰りのいい営業代行会社からの挑戦

石川

創業当時の話を聞かせてください。

2009年2月、24歳の時に会社員時代に貯めた資金を元手に、自宅のワンルームマンションで会社を設立しました。当時「1円起業」が流行っていて、そのつもりで法務局に行ったのですが株式会社の登記には定款認証など諸費用がかかり最低でも20万円ほどかかることがわかりました。しかし手元には貯金といっても5万円ほどしかありません。法務局の方に、「合同会社」(※)であれば6万円でできると教えてもらい、新しい形態だったので面白そうと思って合同会社での登記を決断しました。それでできたのが「合同会社ギャラクシーエージェンシー」です。

金谷

※合同会社とは、2006年の会社法改正によりできた新しい会社形態。株式会社に比べコスト面で優遇される一方、認知度の低さや株式公開できない等のデメリットもある。

弊社の最初のオフィスは、金谷のワンルームマンション

石川

ギャラクシーエージェンシーの名前の由来を教えてください。

当時好きだったサッカークラブ、レアル・マドリードの愛称「銀河系軍団(Los Galácticos)」と、営業代理店を意味する「エージェンシー」を組み合わせて、「ギャラクシーエージェンシー」とつけました。

金谷

石川

営業代理店とのことですが、最初はどのような事業をされたのですか?

携帯電話の三次代理店をしました。法人向けに、携帯電話の契約を取り、マージンをいただくビジネスです。以前、回線を販売する仕事の経験があったこともあり、元手無しで始めることができ、翌月に入金される。資金のない中で、営業力だけで始める商売に適していると思いました。
自宅で一人で始めたのですが、朝本当に起きれなくて。当時合コンで知り合った女性2人に、テレアポとして短時間のアルバイトできてもらうことにしました(笑)。朝インターホン鳴らしてもらって起きて、営業へ行く。そんな感じの生活でした。
この頃、自分でシステム開発もするベンチャー社長に憧れていたので、夜中は自分でホームページビルダーを使って勉強しながら求人サイトを作り始めていました。法人向けに携帯電話の営業をしていたので、携帯の契約をしてもらった方には無料で求人情報を掲載していたんです。結局、このサイトは2011年まで毎晩一人で運用していました(笑)。
そこから順調に売上が伸びてきたので、9月に平野区のファミリーマンションに移転し、初めてのオフィスができました。同じマンションの住民の方が皆応援してくれていて、声をかけてくれたり、ご飯時にはおかずを持ってきてくれたり、とてもアットホームな環境でした。

金谷

石川

まさにスタートアップ!といった感じですね!

はい。社員も入社し5名になったので、憧れだった西区に移転を決め、阿波座のオフィスビルに移りました。そこから、さらに加速して事業や会社が拡大していきました。

金谷

石川

拡大にあたっては何回かの転機もあったと思いますが、規模を大きくする上での最大の転機は何でしたか?

松井(現取締役)との再会ですね。

金谷

石川

松井さんの入社がきっかけだったんですね。次回から松井さんも交えてお話を聞きたいと思います。ありがとうございました。

取締役の松井とは、小学校の頃からの顔見知りですが親友ではない、本人たちははっきりとそう言います。まさにビジネスパートナーとして出会うべくして出会った二人に、当時の様子を語ってもらいます。

つづく。

■連載記事一覧
Vol.1 サッカー漬けの毎日から商売の道へ
Vol.2 社員3名から20名へ。創業2年目で急拡大させた理由
Vol.3 大阪と東京、2拠点での創業初期の組織づくり
Vol.4 テレアポでVCから資金調達 創業4年目でたどり着いた会社経営の考え方
Vol.5 “なくてはならぬ”をつくる
Vol.6 “ITの初心者たち”が作り始めたシェアサービス
Vol.7 “IT企業”への転身
Vol.8 事業の成長、組織の拡大
Vol.9 波乱万丈からの脱却
Vol.10(最終回) akippaのいま 

金谷 元気

代表取締役社長 CEO

1984年、大阪府生まれ。高校卒業後はJリーガーをめざし関西リーグなどでプレー。引退後から2年間は上場企業で営業を経験し、2009年2月に24歳で創業。2011年、株式会社へ組織変更し代表取締役に就任。

石川 絢子

広報

慶應義塾大学卒業後、インターネット広告代理店、グリーを経て2018年4月にakippaへ入社。グリー時代は新規事業立ち上げや管理系業務、広報など幅広く担当したが、現在akippaでは広報マネージャーを担当。
趣味は旅行で年間3回海外に行くことを目標にしている。